賀集由美子さんがピックアップした「バティックの功労者たち」の続きです。著名なバティック・デザイナーのイワン・ティルタ、ウイ・ス・チュン両氏のほか、チレボン・バティック復興のリーダーとなったマシナ氏を紹介しています。賀集さんが購入したウイ・ス・チュンのタペストリーも見せてもらいました。(セミナー写真・竹下香奈恵さん、ウイ・ス・チュンのタペストリー写真・竹田有希さん、その他の写真と写真説明・池田華子)
イワン・ティルタ

これはまぁ「ナショナル」っていうか、イワン・ティルタ(Iwan Tirta)。ご存知ですよね。
まだお店あるのかな。メンテンの辺に、なんかすごい豪華なお店があって(編注:ウェブサイトによると、現在、「イワン・ティルタ・ホーム」以外の店舗はショッピングモール内のみ)。もう、かなり前に亡くなられて。ファッションとか手がけられて。
ウイ・ス・チュン

これがウイ・ス・チュン(Oey Soe Tjoen)。プカロガンのチャイニーズのバティックの方ですね。
これ(下写真)はウイ・ス・チュンじゃないんですけど、プカロガンのチャイニーズが手がけたバティックっていうのはこういう感じ。すごいですよね。息も……息も……(できない)。息が詰まる。裏ももう、こういう感じ(編注:両面を蝋描きしてある)。

(すごいー)
これは月下美人、(インドネシア語で)ウィジャヤクスマ。私はあんまり、この手のバティックがそんなに好きじゃないんですけど、月下美人だっていうんで、昔、シンガポールのアラブ・ストリートで買いました。結構な値段がしました。なんかねぇ、2日ぐらい通っちゃったかな。「うーん、どうしよう……」って。まぁ、でも、良かったです、買って。みたいな。
ウイ・ス・チュンなんですけど、私、カインは持ってないんですが、ずーっと前に買ったタペストリーがあって、それを、うちの親が西日の当たる玄関に飾ってて……こうなってしまって。


「あらーっ」「どうしよう」と思って、裏紙を外したら、裏から完璧なこれが出て来たんです。

ただ、サインが逆。
(笑)
でも、まぁ、すごい仕事ですよね。
これはもう先代(の仕事)なんで。今は、この方のお孫さんかな、継いでいるのは。やっぱり、職人の確保がすごい大変らしくって。まぁ、どこも同じですよね。プカロガンにまだ工房があります。
マシナ

これがマシナって言って、チレボン・バティックを復興させた方、っていう話なんですが、「復興させた」っていうか、当時のリーダーですよね。そのハジ・マシナの娘と息子が、今、バティックを手がけてます。
私がチレボンへ来た当時は、「お店」って言ったら、ここしかなかったんですね。みんな、マシナの店へ行って。バティックは、いろんな所から集まって来るわけですけど。マシナ工房のほかに、別の工房の物も集まって来るんですけど。
今は、そのお子さんたちが(やっていて)、展示会とかもいっぱい出て来てます。
あ、これ。

これは池田(華子)さんが、マシナさんの子供のブディさんっていう、もう亡くなられているんですけど、そこで、たまたま買った。

(おぉーーー)
なんかね、不思議なモチーフ。ちょっと私、プロセスが全然読めないんですけど。どっから始めているのか、どうしたらこうなるのかっていうのが、よくわかんないんですけど……(編注:購入した後で賀集さんに「よく見たいから貸してください」と言われた)。こういう、いろいろ面白いバティックを作ってます。
あと、これ(編注:音声データから起こしているため、どのバティックを指しているのか不明)も、そうですね。これもマシナ工房です。サロンですね。昔のバティックって、こういう、輪っかになってる。
きれいですよね。うん。やっぱり、今の精巧なバティックとまた違う、こう、なんだろう……「のびやかさ」みたいなのがあるっていうか。
多分、当時、1ドル=2000(ルピア)ぐらいでずーっと固定されていた時代があって。これがまぁ、1万円ぐらいな感覚ですよね。そのくらい出せば、かなりいいバティックがいっぱい買えた。当然、裏表ばっちり描いてます。


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