賀集由美子さんのペンギン好きは昔からで、ペンギン・キャラでは特に「ピングー」と「Suicaのペンギン」を愛していた。チレボンの自宅にはこの2つのぬいぐるみやグッズがいっぱい。ペンギンが出て来る不思議な小説(アンドレイ・クルコフ作、沼野恭子訳「ペンギンの憂鬱」)を「読む?」と貸してくださったこともある。
インドネシアにペンギンはいないのに、なぜペンギンなのか? これを正面切って賀集さんに尋ねたことはなかった、と思っていた。ところが、2008年12月の取材ノートが見付かり、雑多な話の中で、ペンギンの件について、かなり詳しく触れられていた。ノートに書き留めた賀集さんの言葉を、なるべくそのままで書き出してみる。
インドネシアへ来る前にもらったピングーのぬいぐるみ
そもそもの始まりはピングーのぬいぐるみだったようだ。
インドネシアに来る前、お餞別に(ピングーの)ぬいぐるみを2個セットでもらい、「かわいい」と大騒ぎした。それで「好きなんだね」ということになり、グッズが集まるようになった。
インドネシアへ行く「お餞別でもらった」というのが、なんだか運命的だ。

賀集さんの手帳やノートに多用されているペンギンの「落書き」は、ピングーを賀集さんなりにアレンジしたものだ。「そう言われてみれば……」なのだが、新たな表情も加わり、もはや賀集さんの独自キャラと言ってよいだろう。
「病気やダレている時は、だらーっとしている。咳してたり、怒っていたり。焦ってる時は点(汗?)がいっぱい」との説明。手帳には、大事なピングーのぬいぐるみを車から落とすかでなくしてしまい「Pingu hilang」(ピングーがなくなった)と泣いているペンギンもいた。つまり、ペンギンは賀集さん自身だ。
誰に言っても聞いてくれないから、自分の心理状態をここに描いてる、って感じかな。何を話しても、「Ya, sudah」(ああ、そう)で終わるから。
あうんの呼吸ではわかってくれない。感情は出した方がいい。本当に爆発する前に、あそこで(=手帳の中で、ペンギンとして)爆発。
賀集さんは、このペンギン・キャラクターのバティックを、最初は「遊び」で作り始めた。それがジャカルタに住む日本人の間でぐんぐん知名度を上げ、人気となっていった。
(ペンギンのバティックは)最初は自分で使っていて、あまり外には出していなかった。ジャカルタで火が付いた。ペンギン柄のオーダーで、どんどんペンギンが増えた。
伝統文様とは違ったわかりやすさやかわいさ、ユニークさが人々の心をつかんだのだろう。

なぜペンギン?
「なぜペンギンなのか?」という私の問いに、賀集さんは次のように答えている。
形がかわいい。
バティックの動物柄は元々、好きだった。チレボンの動物柄「マルガ・サトワ」(Marga Satwa)が(バティック文様の中で)一番好き。チレボンに惹かれたのは、まず、これ。
チレボンが一番、変な動物柄が多い。王宮文様にも変な動物がいる。下手くそで面白い。
元々、デフォルメした子供の絵みたいなのが好きだった。変な絵のバティックばかり買っていた。マシナ(工房)の人面魚みたいな、変な魚とか。あり得ない、面白い、架空の動物。この延長線上で、ペンギンも出てきた。

バティックで輪郭線の中の模様を描くことを「イセン」という。イセンは通常であれば職人の自由裁量に任されているのだが、このペンギンは例外だ。
(バティックで)ペンギンは描きやすい。雪だるまだし。ウウットちゃんが立役者で、こんなイセンにしたから、ここまで来ました(=人気になりました)。(イセンで)印象が違う。ウウットちゃんが決めて、皆がそれに従う。見本が(ウウットちゃんの)それで、口を挟む余地なく定着。
ウウットさんの決めたイセンは、頭の部分は格子柄、羽根は「サウィット」など。新しく工房に入った職人は、この描き方のペンギンをまずは練習する。こうして、ペンギンは「キャラクター化」された。このペンギンはしばらくの間、「ペンギン」(職人さんからは「鳥」「スズメ」などとも)と呼ばれていたが、2009年に私が「ペン子」と名付けて定着することになった。


ストレスたまるとペンギン柄の新作が続々と
賀集さんは工房主宰という仕事を「結構、ボランティアに近いかも。NGOだよなー」と語っている。そのストレスの副産物として出来たのがペンギンだ。
目標を持ってやっているとストレスになる。へらへら状態。
カインパンジャン(=伝統的なバティックの布)、もうちょっと、ちゃんと作りたいですね。
全然違った斬り口のものを作りたいかな。今までにないもの。延長線上ではあるけど新しいもの。新しい柄、模様……ペンギンじゃなくて。絵をちゃんと描きたいな。
ペンギンはストレス解消。ストレスたまっていると、ペンギン柄の新作が出来まくる。ジャカルタの奥さんは「あれを見ていると、なごむ」と言うんだけど、煮詰まっているとペンギンしか描けない状況に。いろいろやりたいことはあって、できないまま、ペンギンばかり描いている状態。
バティックは段取りができない仕事。そういう中で段取りしまくっている。鬱憤があそこへ行って、ペンギンがグレまくる。
この家のペンギンは忙しい
賀集さんのペンギンものは、賀集さんが本当にやりたい仕事とは違ったのかもしれないが、ストレス発散というほかに、新しい世界も開いていった。
賀集さんはペンギンものを「小さな民」(ジャワ語で「wong cilik」)シリーズ、「ジャワ庶民シリーズ」と呼び、「聞きかじった職人さんの『トホホ』なネタをバティックにしている」と話した。
マンガの世界。4コママンガの世界。
せっかくインドネシアにいるんだから、庶民の生活を発信しても面白いかな。日本人はそれを意識して(グッズを)買っているわけじゃないけど、せっかくジャカルタに住んでいるんだったら、身近に見ているものだし、いいんじゃないかな。啓蒙する気はない。面白がっているだけ。笑い話。日常的に話をして笑い転げているのを絵にした。
(バティック師匠の)カトゥラさんは社会派で、経済危機とか社会風刺バティックを作っている。師匠と同じかも。まじめなバティックを作っている人はいっぱいいるから(自分たちは違うものを)。
小さな民、絵本にしたらかわいいかも。バティックの絵本。(注:後に月刊誌「南極星」で、バティックの「ペンギン4コママンガ」を連載することになる。それに通じる発想だ)
あの人たち(=職人さんたち)、面白いから。達観しているところがある。ジャワ語の「Nrimo」がキーワード。あるがままに受け入れる、運命を受け入れる、という意味。けなげ。ある意味で大人なのかな。すごいと思う、こういう人たち。私も勉強しないと。まだ修行が足りない、という感じ。日本人を啓蒙するつもりはまったくないが、そういう世界がある、というのが伝わるかな?
カトゥラさんはペンギン・シリーズを見て「この家のペンギンは大変だよなぁ。いろんなことをしてる、sibuk sekali(すごく忙しい)」と話していたという。
チレボンで忙しくしていたペンギンは、やがてチレボンからジャカルタへ、そしてインドネシア全国へと旅をする。賀集さんの筆で、それぞれの場所で観光名所や名産品を紹介し、さまざまなインドネシアを紹介している。それだけでなく、時にはシンガポールへ観光に行ったり、日本やヨーロッパにお遍路や巡礼に行ったり。「忙しい」ペンギンは、今も忙しく生き続けている。

