フレディや、うちのねこの話を進める前に、フレディがうちへ来る1年ほど前に現れ、すぐに去って行ってしまった「グラちゃん」のことを書いておきたい。私にとって、ジャカルタで最初の特別なねこだ。その「爪痕」(=功績)をきちんと記録しておきたいのだ。(写真は全て、ダグソトさん提供)
インドネシア料理教室と一緒に「パサールツアー」をしていた時のこと。パサールツアーの参加者が、なんと、子ねこを拾った。
いつも行くパサールに、ねこはたくさんいて、野菜売り場の台の上に寝転がって授乳していたり、バケツの水を直飲みしていたりと、たくましい。パサールは、衛生状態は良くないが、食べ物はたくさんある。
その子は、魚売り場の近く、カツオを蒸し焼きにした「生節(なまぶし)」屋さんの所にいて、台の間から顔をのぞかせていた。大きな緑色の目、黒と茶色の混じった毛色。われわれの姿を見ると、「ストン!」と台から降りて来て、よろよろした安定しない足取りで、「ニャー、ニャー」と鳴きながら、真っ直ぐ、一人の参加者の元へ。その人が抱き上げると、胸元にしがみつき、その人をじっと見ている。
「この子、一人では生きていけないですよね?」と、その人はすごく気になる様子だ。売り場の人たちに「お母さんは?」と聞くと、「いない」と言う。「持ってけ、持ってけ」と言われ、あれよあれよという間に連れ帰ることになってしまった。子ねこは紙袋の中へ入れられた。私のその時の正直な気持ちは「え?! 拾うんですか?!」だった。
パサールにペット用品は売られていないので、急遽、近くのペットショップに飛び込み、トイレ、砂、ミルク、ごはんを買い揃えた。買い物中も、子ねこは紙袋からずっと顔をのぞかせていて、まるで「自分のための買い物だ」とわかっているようだった。
パサールツアーには親子の参加者もいた。母親と一緒に参加した小学生のA君は、パサールではインドネシア語を使って元気に買い物をしていた。「ねこ、インドネシアから日本へ連れて帰るのは大丈夫かな?」という話を大人たちの間でしていたら、A君は「ワシントン条約?」。その後も「宿題のこと忘れて、(頭の中が)99%、ねこになっちゃった」と言う。このA君のかわいさも印象的で、忘れられない。
ねこを拾った人は、その後、ジャカルタで唯一無二の「ねこ友達」となったダグソトさん。ねこを拾ったものの、近く日本へ一時帰国の予定があるとのことで、その間はうちで預かるということで話がまとまった。そして、「どうしてもうちで飼えない場合、相談してもいいですか?」と言われ、主宰者という行きがかり上、「もしかして、うちの子になるかも……」という気持ちで、子ねこを見ていた。すごく欲しい(飼いたい)、という気持ちと、飼えるかどうか、という不安と。小学生のA君と一緒で、ずっとねこのことばかり考えていた。
子ねこを家へ連れて帰ったダグソトさんは、「夫が怒り狂って大変だった」とのこと。「離婚だ」「今すぐパサールへ返しに行け」とまで言われたそうだ。「これは、いよいよ、うちへ……」とも思ったが、なんと、子ねこのかわいさに、たった2日で陥落したそうで、「うちで飼うことになりました」と連絡が来た。
名前は「グラ」(Gula、インドネシア語で「砂糖」の意味)になった。黒と茶色の混じった毛色がインドネシア料理でよく使う「グラメラ」(gula merah=ヤシ砂糖)そっくりで、「うまいこと付けたなぁ」と感心した。
元気に遊んでいる写真が送られて来て、「グラちゃん、かわいくて、性格もいい子だったなぁ」と、うちで飼えなくて残念だったという気持ちと、「いい家で飼われて良かったなぁ」という気持ちとが入り交じる。こうして、とてもかわいがられていたのだが、グラちゃんはあっという間に、この世を去って行ってしまった。
原因はわからない。拾われた時の体重はたった300グラム。下痢が続き、病院では「貧血がひどい」と言われ、下痢止めや抗生物質を処方された。ダグソトさんはジャカルタでねこを飼い始めたばかりで、病院のこともよくわからない。夜間の救急で飛び込んだら、「熱がある」と言って、ただアルコール綿で体を拭いただけ、という病院もあった。3つの病院を周り、最後の「グルービー」に入院させて「一安心」と思った矢先、その日の夜に亡くなってしまった。
元々、何か問題があって、母ねこに見放された子だったのかもしれない。「最初からグルービーへ連れて行っていれば……」というのがダグソトさんの後悔だが、もしかしたら、どうやっても助からなかったかもしれない。しかし、たとえそうだったとしても、衛生状態の劣悪なパサールにひとりでいたところを救い出され、少しの間でも、安心できる環境が与えられた。そのことは本当に良かったなぁと思えるのだ。
ダグソトさん夫婦でグラちゃんを引き取りに行き、ラグナンで荼毘に付した。その時、ダグソトさんは「夫の涙を初めて見た」と言う。「付き合っていた時も、結婚した後でも、一度も見たことがない」という涙だった。
グラちゃんと一緒に過ごしたのは、たったの2週間足らず。そんな短い間だったのだが、グラちゃんの残した「爪痕」は大きかった。
ダグソトさん夫婦は、グラちゃんの四十九日の後、保護ねこ1匹を迎え入れる。その後、保護ねこ計5匹を飼うことになった。ダグソトさんの拾った甚五郎がうちへやって来た(この話はまたいずれ)。ねこつながりで、ダグソトさんととても仲良くなり、チレボンやバリなど、あちこち一緒に旅行するようになった。夫の優しさを知り、ダグソトさん夫婦のジャカルタでの生活が円満になった(笑)。そして私はこの時初めて、本気で「ねこを飼うかも」という気持ちにさせられた。この心づもりがあったからこそ、1年後のフレディをすんなり受け入れられたのかもしれない。
ダグソトさんがジャカルタでレスキューしたねこは、うちの甚五郎も含めて、計8匹に上る。うちにも、「もし甚五郎がいなかったら、やって来なかっただろう」というねこが4匹(もらわれていった1匹含む)。グラちゃんは、少なくともねこ8匹+4匹の命を救い、われわれの生活を激変させた。とてもとても偉いねこなのだった。ずっと忘れないよ、グラちゃん。