[フレディ物語](5)賀集さんとフレディ

[フレディ物語](5)賀集さんとフレディ

 フレディがうちに来て2カ月ほど経ったころ、賀集由美子さんがチレボンから来訪した。正確に言うと、私がチレボンへ行って一泊し、二人で一緒に戻って来たのだ。フレディは興奮して、激しい勢いで駆け回る。危ないぐらいのハイテンションで、手を付けられない。とりあえずそっとしておいたら、翌朝には落ち着いた。

 この時が、賀集さんとフレディの最初の出会いだった。賀集さんは「かわいい」「かわいい」と言って、フレディを本当にかわいがってくださった。

 賀集さんはダイニングテーブルの、台所に近い方の椅子に座る。その体を使って、フレディは未知の世界だった台所へ入ることに成功した。「フレディは『考えるねこ』だね」というのは、賀集さんがくれた賛辞だ。「ちゃんと、距離などを計算している。彼女なりの戦略」と。

 「ねこの動線では、どういう風に見えてるんだろうね」というのも、忘れられない賀集さんの一言だ。ねこは、机は「机」、椅子は「椅子」と認識しているわけでは、もちろんない。単なる、高さのある「上に乗れる物体」だ。そして、ダイニングのテーブルから直線で台所へ、というのは人間ではあり得ないのだが、ねこにとってはまったくあり得る動線だ。ねこにとって、この部屋は、一体どういう風に見えているのだろうか。アーティストの賀集さんらしい、そして私にとっては新しい発想の言葉だった。

 賀集さんはフレディに対して「duduk」(お座り)、「tidak boleh」(ダメ)などと、普通にインドネシア語で話していて、面白かった。そりゃあ、フレディはインドネシア生まれのねこだけど。逆に、ねこシッターのミニさんは「ナニシテルノ?」「ダメ」などと、日本語で話しかけている。日本人の飼っているねこだから日本語で、ということだろうか。この二人のクロスぶりがおかしかった。

 賀集さんがチレボンからお土産に運んで来たのは、インドラマユの大きなカツオ、なまり節だった。バティック職人のアアットさんが作った物で、バナナの葉をかぶせて数時間、煙でいぶして、蒸し焼きにしてある。これを賀集さんが台所で解体した。骨を取って身だけにして、1回分ずつ小分けにして冷凍するのだ。トマトソースなどでツナ・スパゲティ風にするとおいしい、とのこと。

インドラマユの蒸し焼きカツオ
インドラマユの蒸し焼きカツオ、3尾も!
ダイニングの椅子の背に乗って、決意の雄叫び
椅子の背に乗って鳴くフレディ

 フレディは、この作業をしている台所へ来たくてしょうがない。ダイニングテーブルの椅子の背に上り、こちらをじっと見ながら、激しく鳴いた。しかし、台所へ渡るのにいつも利用している賀集さんの体はない。ついに、自らを奮い立たせるかのように、雄叫びのごとく激しく鳴いたかと思うと、跳躍! ワンジャンプで見事、台所へ着地した。一回成功してしまうと、その後は楽々と何度でもやる。

 カツオをほぐした身をもらって、ガツガツと食べた。これは燻製のように香り高い、人間が食べてもおいしい魚なのだ。しかし、わが家では、ほとんど全てをフレディが消費することになってしまった。

 翌朝もこのカツオをあげていたら、突然、喉に詰まらせた。身が大きすぎたのか、取ったつもりの骨が残っていたか。「オエッ」「オエッ」と10回ぐらいやっていた。これには私も賀集さんも青くなった。「えっ、どうしよう、どうしよう」と2人でうろたえている間に、「オエッ」は収まった。

 しかし、それからは慎重になった。別の時にチレボンへ行ったら、賀集さんがまたこの魚を買って、工房で解体してお土産に持たせてくれたのだが、作業に当たる「丁稚」に対して、「これは華子さんの大事なねこが食べるんだからね、骨が絶対ないように注意するんだよ」と指示をした、とのこと。丁稚にしたら、「ハ?」という感じだっただろう。

 インドラマユのなまり節はなかなか手に入らないので、パサールで魚を買って自宅で蒸すようになった。ねこにやるために骨を取りながら身をほぐすたびに、「これは華子さんの大事なねこが食べるだんからね……」という賀集さんのこの声がよみがえり、賀集さんの優しさを思うのだ。

 ねこのおもちゃは、ねこが気に入った物ほど、すぐに壊れる。賀集さんは、日本でネズミのおもちゃをたくさん買って来て、これを長い木の棒に紐で取り付けたおもちゃを手作りしてくれた。棒は、工房にあった何か(失念した)を再利用したと言っていた。

 モールを丸めた物がフレディの一番好きなおもちゃで、遊んでいるうちにすぐになくしてしまう。取れない隙間へと蹴り込んだり、わざわざトイレへくわえて行って、便器の中へぽたっと落としたり(そうすると、水を流して廃棄するしかない)。ジャカルタでモールが見つからず困っていると、賀集さんが大量に日本から買って来てくれた。それも、1袋とかではなく、細い物、太い物、いろんな種類のモールをどさっと。この気前の良さが賀集さん、だった。

賀集さんの買って来てくれたモール。もう半分以上は使ったと思うのだが、まだこんなにある
もう半分以上は使ったと思うのだが、今でも、まだこんなに残っている
賀集さんの荷物に大喜びのフレディ
賀集さんの荷物に大興奮のフレディ

 新しいこと、珍しいこと、お客様が大好きなフレディにとって、賀集さんの来訪は、インドネシアでよくある「移動遊園地」のようなものだ。ぎっしり商品の詰まった大きなスーツケースが2個、来客用の寝室に運び込まれる。賀集さんは豪快に、ベッドの上にどんとスーツケースを広げ、中味の整理をした。フレディにとっては、見たことのない珍しい物ばかり! 異国船の来訪だ! スーツケースの中に飛び込み、ベッドいっぱいに広げられた物を踏んづけながら探検して歩き、大忙しとなる。

 荷物が整理されてからも、新しい物がいっぱいの部屋に入り浸りになっていた。賀集さんが寝る時に、部屋の外へと出されてしまうと、閉ざされたドアがまた気になって仕方がない。ずっと「出待ち」のように、魅惑の世界の扉が開くのを待っているフレディ。

賀集さんを「出待ち」
賀集さんを「出待ち」

 賀集さんが日本から買って来てくださるお土産も、フレディがうちに来てから、内容が変わった。以前は「ちょっと珍しい、おいしい物」が多かったのだが、それに「ねこグッズ」が追加されるようになった。特に、フレディに似たねこグッズを探して買って来てくださった。売り場をいったん通り過ぎてから、「あ、さっきの、フレディに似てた」と引き返して買った物もあると言っていた。百均で買ったという黒ねこのマグネットは「胸が白かったらフレディ」と、胸元を白く塗って加工した物をくれた。フレディ・マグネットは今も冷蔵庫に留まっている。

胸元を白く加工してフレディに
胸元を白く加工してくれた

 フレディの移動遊園地が来ることはもうなくなってしまった。賀集さんがいなくなった喪失感と悲しみは言い表せないが、こういう思いをしないために、賀集さんと出会わない方が良かったのだ、賀集さんともっと浅い付き合いをしていた方が良かった、とは思わない。賀集さんと一緒に過ごした楽しい日々は、かけがえがなく、消えてなくなったりはしない。

 いずれやって来るねこたちとの別れの日が、今からもうすでに耐えられない気がしていたのだが、賀集さんが教えてくれた。うちのねこたちと出会って良かった、できる限り深い付き合いをして良いのだ、ということ、そして、一緒に過ごした日々はずっと残るのだ、ということを。(つづく)

賀集さんの描いてくれたフレディの絵。メガムンドゥンに乗っている
賀集さんが描いてくれたフレディのバティック下絵。メガムンドゥンに乗っている。胸元と足は「x」で、ちゃんと白指定
出来上がり
出来上がり。バティック・ワークショップの作品なので、めちゃくちゃな線は自分で描いたもの。フレディは踏む。よく見てる、と思う

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