出会ってしまった、不思議なバティック。バティックはどれも一期一会なのだが、これはその中でも群を抜く「一期一会」だ。
チレボンのカトゥラ工房には、戸棚で三方を囲まれた小さな部屋がある。戸棚に詰まったバティックを取り出しては、広げる。どんどん広げるので、すぐに下の絨毯は見えなくなる。それだけでなく、出来たばかりのバティックや作りかけの品も裏から持って来て、ちょっと広げて見せてくれたりする。その中で、一瞥しただけで変わった品があった。広げて見せてもらうと、絵画のようなバティックだ。思わず「わーっ」「えーっ」という声がその場から上がった。
カラフルな一本の木。葉が茂り、花が咲いて、ザクロのような実がなり、枝の間には、鳥、蝶や蜂やトンボといった虫の姿が見える。空にはナルトのような形をした雲が飛び、星が輝く。
テーマはいわゆる「生命樹」なのだが、こんな生命樹は見たことがない。
目を引いたのは、その鮮やかな色合いと、まったくバティックらしくない独創的な絵。一瞬、「南米」を思い浮かべた。「身に着ける」という用途はいっさい考えず、壁に飾るしかない「絵」となっているのも珍しい。バティックで制作した絵画、「バティック絵」なのだ。
「これは一体何?」と聞くと、「オーダーで流れた品」とのことだった。つまり、注文を受けて制作したが、オーダー主が買い取らなかった、ということだ。たとえオーダーしても、出来上がりが思い通りでなかった場合、注文を「流す」ことはある。
このバティックの場合、「のれんにしたいので、一枚の布に二本の木を入れてほしい」という注文だったのだが、カトゥラ工房では間違えて「一枚の布に一本の木」として制作してしまった。このため、このバティックは買い取り不可となり、新たに「一枚の布に二本の木」として作り直していると言う。
やり直した下絵を見せてもらうと、縦横比率を変えすぎたように見える、ひどく縦長の木が二本立ち、一本はこのバティックと同じ木で、追加されたもう一本には、かわいらしい小動物がいっぱい描き込まれている。「鳥と虫」「動物」という対比なのだろう。しかし、ごちゃごちゃしすぎていて、うるさい。バランスも悪い。個人的には断然、この「一本の木」のバティックの方が好みだ。
ぱっと見た瞬間に心を掴まれた。それだけでなく、その場にいた賀集由美子さんともう一人の友人が口を揃えて「これは、はなこさん、って感じ」と言う。「そうですか!」とうれしく、ほぼ即決した。値段は300万ルピアで、思ったよりも安かった。カトゥラ工房としても、「こんな妙な布が流れてしまった、売れ残ったら困る」と思ったのではないか。
オーダー品なので、普通なら市場に出回ることのない布だ。オーダー主が気に入って購入していたら、一般の目に触れることはない。今回は、オーダー主が注文を流したので、幸いにも私の手元に来ることになった。
この「元絵」がどんな絵なのか、興味をそそられた。どんな素晴らしい絵なのか、誰か有名な画家の作品なのか、と。ところが、スマホに入っていた元絵(原画)を見せてもらって、絶句した。全然、良くないのだ。そして、カトゥラ工房の手で作られたバティックと見比べて、心底、感心した。そこに、バティックの新しい可能性も見えた気がした。
バティックは細部まで忠実に、原画をなぞっている。木の枝の伸び方、葉の一枚一枚、花の一つひとつ、鳥や虫の位置、そのポーズに至るまで、原画と同じ。色もほぼ、原画をそのまま再現している。しかし、細部まで同じ絵なのにもかかわらず、とても同じ絵とは思えないほどに、バティックの方が格段に良い。原画に忠実なまま、バティックらしい表現に変え、その技巧の細かさと表現力で、別次元の作品へと仕上げている。
木の枝に変なトゲのような物が原画に描かれているのだが、これは「ウィット」(枝)と呼ばれるバティック技法で表現している。極細の線だけ残して周りを蝋で伏せるチレボンの「ウィット」は、他地域の人から「どうやってやるのかわからない」「蝋を削って染料を入れているのではないか」と言われたりもするという。背景全部を蝋伏せしたすっきりした白(クリーム)地に、このウィットを存分に見せるのが、チレボン・バティックの醍醐味といえるだろう。
ザクロの実や葉に描き込まれた点描や線描は、気が遠くなるような細かさだ。さらに、原画に沿って、伝統的な方法ではない模様の描き方も見られ、それがまた面白い効果を上げている。葉の中に丸を描いたり、ナルトのような模様を入れたり。「バティックでは無理なのでは?」と思う表現も、うまくバティックに溶け込ませ、バティックに融合させている。
その中で一つだけ、「これは一体、何?」とけげんに思う模様があった。右上辺りに描かれている水色の楕円だ。生き生きと精緻に描かれた生命樹の中で、これだけが浮いているように感じられた。原画を見て納得した。そこにも、なんだかわからない青い円が描かれている。恐らく、バティック職人さんたちも、なんだかわからないまま、細かい格子模様を入れて無難に処理したのではないか。
元の比率が縦2:横1ぐらいの絵を、縦3:横1ぐらいまで縦長に引き伸ばしているのだが、むしろその方がすっきりと、バランス良く見える。天に向かって優雅に立つ生命樹。
一番下には、原画にはない部分が加えてある。まるでおひな様のひな壇のような、全体の色彩に合ったカラフルなストライプ模様だ。「大地」のイメージだろうか。これがまた、絵としての収まりの良さと安定感を与えている。
ものすごく変わった、しかし「私らしい」と「満場一致」で言われた生命樹。世界にたった一つの生命樹だ。
これは、白い壁に「絵」として飾るのに最高だ。折り返した部分が隠れて見えなくなるともったいないので、布の上部を筒状に手縫いしてから、飾り棒に通して、壁に掛けた。
バティックとは伝統的に「身に着ける布」であり、そうしたデザインになっている物が多い。柄は横向き、布の端には前面に来た時にアクセントとなる飾りがある。しかし、バティックを腰に巻いて身に着ける機会はめったにない。パーティーなど、特別な機会に限られる。
この生命樹のような「絵としてのバティック」の方が、インテリアとして使いやすいのではないだろうか。おまけに、全然良くない原画が、バティックの力でこんなにも素晴らしい作品に化けるのだとしたら、自分の好きな絵の「オーダー」を試みてもいいのではないだろうか。好きな景色、思い出の風景、ねこの絵とか。「絵としてのバティック」に俄然、興味がそそられ、オーダーの野望がいろいろと膨らむのだった。
「生命樹」
バティック・カトゥラ作
104cm x 260cm
2019年購入
300万ルピア(値段は購入当時)