[100枚のバティック](20)賀集さんのインドネシア地図をもう一度 ㊤

[100枚のバティック](20)賀集さんのインドネシア地図をもう一度 ㊤

 賀集由美子さんの「インドネシア地図」の複製(レプロ)作業が進んでいる。

蝋描きの出来たインドネシア地図
アアットさん。蝋描きの終わったインドネシア地図

 賀集さんのインドネシア地図のバティック(蝋描き)をして、賀集さん直筆の原画を所有しているのは、インドラマユのバティック職人アアットさん。レプロすなわち複製を頼んだが、一向に出来上がらない。話を聞き、作業が進まない一番の理由は「原画トレースがおっくう」とわかった。では、この部分を、別の人にやってもらえばいいのではないか? バティックとは本来、分業体制で制作するものだ。インドラマユのバティック職人さんも、家で蝋描きだけして、染色はインドラマユやチレボンの工房に頼んでやってもらう。

 賀集さんと親しかった、チレボンのアリさんとワワンさんに相談した。アリさんたちの工房には専門の下絵職人がいるし、ライトテーブルなどの道具も揃っている。「できる」と言う。もちろん、この工房で、蝋描きも含めて全部の作業ができてしまうのだが、蝋描きの部分は、やはりアアットさんにやってほしい。

 こうして、素人ながら私の交通整理により、次のように作業することになった。

  1.  アアットさんから「インドネシア地図」の原画をお借りして、アリさんの工房に渡す。アリさんの工房で、下処理した布に、原画を鉛筆でトレースする。トレースした布を、アアットさんに送る。
  2.  アアットさんが蝋描き(輪郭線と模様描きのイセン)をする。完成したら、アリさんに送る。
  3.  アリさんの工房で、蝋伏せ(テンボック)、染色、蝋落としをして仕上げる。

 ちなみに料金は「わからない」とのことで、実際にやってみてから、アアットさんにはバティック代、アリさんの工房にはその他の費用を、私から支払うことになった。

 こういう手順が決まり、2023年3月にインドラマユへ行った時に、アアットさんから、賀集さんの貴重な原画を預かった。その足でチレボンへ行き、アリさんとワワンさんに手渡した。

ワワンさんに「インドネシア地図」の原画を渡した
「インドネシア地図」の原画、インドラマユからチレボンへ

 私の注文は、試しに、まずは2枚。ワワンさんが「自分たち用にも、作っていいか?」と言うので、アアットさんの了解を得て、全部で3枚、制作することになった。

 5月、アアットさんに「トレースした布は受け取った?」と聞くと「受け取ったよ」とのこと。

 「もうバティック、始めた?」
 「まだー。姉がイセンをするんだけど、今、忙しい。インドラマユで海のお祭りがあって、料理に忙しい」
 「はーい」 

 6月2日、インドラマユを訪れた。思いの外、忙しくなってしまい、「ちょっと寄る時間がなさそう」とアアットさんに連絡したら、「今、インドネシア地図をやっているよ」と言う。「えー、見たい!」。時間を作り、やはり予定通りに寄らせてもらうことにした。どうやら、「Hanakoが来る」と言うので、あわてて地図の作業を進めていたらしい。

手前がアアットさん、左奥がお姉さん
右手前はアアットさん、左奥でアアットさんの姉が、インドネシア地図を蝋描き中

 3枚の布のうち、1枚は完成していた。2枚の布が作業用の棒に掛けられ、アアットさんと姉が分担して蝋描きを進めていた。アアットさんが輪郭線を描く。輪郭線を描いた布に、アアットさんの姉が細かい模様を入れていく(=「イセン」と言う)。

 「アアットは、イセンはできんのよ。(地模様の)卍とかは描くけど」とアアットさん。

 二人とも、早い早い。まるで普通のペンであるかのように蝋の入ったチャンティンを使い、過たず線を描いていく。早いけど、丁寧だ。パプアの下の海にある真珠貝が、アアットさんの手で貝殻、その中に輝く真珠が描かれ、完成した。線を一本ずつ、点を一個ずつ、手で描くのだから、大変な作業だ。手描きバティックの値段が高いのは当然だろう、と改めて思う。

アアットさんの蝋描き。亀、陸地の線が途中まで
アアットさんの蝋描き。亀、陸地の線が途中まで

 アアットさんの線描きの仕方は不思議だ。例えば、亀が、頭と甲羅の途中まで描いてある。パプアの島を描き始め、輪郭線の途中でやめている。なぜ完成させないのか? なぜ一気に描かないのか? 「うーん、描き方は自由だから」。

 そして、下絵が「Yumikoの絵と違う」と、しきりに言う。以前は、賀集さんが鉛筆でトレースした布をアアットさんに送り、アアットさんはそれに直接、蝋描きをしていたそうだ。しかし、これもまた、賀集さんの原画を忠実にトレースしたものであるはずだ。一体、どこが違うのか? 「なんか、違うんだよ。字とか」。

 イセンは? 「イセンは元々自由だから、いいの」とお姉さん。お姉さんは、イセンを済ませた後、下絵には描かれていない魚の泡などを、賀集さんの作ったバティックの現物を見ながら、足していた。

スラウェシの上方。海上家屋に住むペン子
下絵に沿って、アアットさんの描いた輪郭線。スラウェシ島の上方、海上家屋に住むペン子
サーフィンをするペン子、魚。丁寧なイセンが施されている
イセンを加えたもの。スマトラ島の西方にあるニアス島はサーフィンで有名

 この後、蝋描きの終わった布は、チレボンのアリさんの工房に送られる。地図の縁取り部分や船の帆など、白い部分の蝋伏せ(テンボック)、それから染色、蝋落とし。賀集さんが自らの工房「スタジオ・パチェ」でしていた工程に入る。

 出来上がってくる地図が、賀集さんの作品と違うことは百も承知だ。それでもなお、賀集さんと関わっていた人たちの力を合わせて、賀集さんの作品のレプロができることを喜びたい。賀集さんの描いた素晴らしいインドネシア地図が、再び日の目を見る。(つづく

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