8月初め、インドネシアからの転勤が決まった安藤彩子さんとその友人と一緒にインドラマユへ行った。安藤さんの趣味はスキューバダイビングで、魚が大好き。安藤さんの「魚引き寄せ力」のお陰か、エディさんの工房で、これまで見たことがないような、魚を描いた面白いバティックが次々に出て来た。
目を引いたのは、インドラマユらしい花鳥の伝統文様の上に、いろんな魚が大胆に配された黒白のバティック。とても格好いい。びっくりしたのは、魚がどれも非常にリアルかつユーモラスなこと。うろこの一枚一枚、背びれや尾ひれ、目の光、全体的な姿形や表情……魚を日常的に見ている人が描いた絵だ、と思わされる。
絵を描いたのは、インドラマユの漁師のジャズリさんで、バティック(蝋描き)は妹のマスロニさん、構想はエディさん。なんと、この日に届いたばかりのバティックだそうで、まるで安藤さんが来るのを待っていたかのよう。これは安藤さんが気に入り、購入した。
私が裏の工房へ行って仕事をし、店へ戻って来ると、また新しいバティックが出されて広げられていた。おおーー、これは、すごく面白い。まるで絵画のようだ。絵の中心になっているのは、海に浮かぶ船。抽象化されているにもかかわらず、船の輪郭線や網などのポイントが非常にリアルだ。
インドラマユの漁港へ行くと、大小の船が停泊している。白い山になった網を端からどんどん引っ張り、点検と修繕の作業をしている。その横には浮きも大量に積み上がっている。このバティックの船に細い線で描かれた網と、たくさんの浮き、もうこれだけで、インドラマユの船が目に浮かぶ。
インドネシア国旗のような2色の旗を翻らせて進む船。その下は、海の深さと暗さを象徴するかのような黒い海。そこにはユーモラスでかわいい魚たちがいっぱい泳いでいる。大きい魚やクラゲもいる。布を端から端まで横断して波を表す曲線が描かれ、海の下にはサンゴや亀、カニ、ヒトデ(?)。空が雲などではなく、花鳥で埋め尽くされているのも面白い。布の右端には三日月。
これも構想はエディさん、絵はジャズリさん、バティックはマスロニさん。エディさんが波の曲線を描き、船と三日月の輪郭を入れたと言う。空は、好きな伝統文様で自由に埋めてもらったそうだ。
エディさんとしては、出来上がりに不満な点がいくつかある。まず、いくつかの鳥の向きが上下逆さま。そして、マスロニさんには三日月の模様が何だかわからなかったらしく、細かい模様を描き入れ、伝統文様の中に埋もれてしまった。「絵画的なバティックである」という趣旨を「うまく伝えられなかった」とエディさん。
そうは言いつつ、エディさんとしては「新しいことに挑戦してみた」、「お気に入りの作品」のようだった。「なぜこのバティックを作ったのか?」と聞くと「私も『マスターピース』を作ってみたかった」と言う。エディさんの工房では、チャップ(型押し)と手描きのコンビネーション、または、粗い手描きのバティックが多い。売れ筋のそうしたバティックとはまた違う、「自分の作品」を作りたくなったのだろう。夜な夜な考えて、アイデアを練ったそうだ。
インドラマユの漁師とその妹、エディさんの合作、というのがとても良く、伝統と新しさがちょうど良く混じり合っている気がする。インドラマユの伝統文様は「抽象と具象の境」とも言えるギリギリさがうまく、面白い。これも、そのインドラマユ・バティックの特徴をよく表していて、抽象になりすぎず、具象になりすぎず、斬新で面白いデザインになっている。
さて、このバティックをとても気に入ったのだが、値段が突出して高い。「良いバティックであれば、いくら高くても買う」ということはさすがになくて、適正な値段だと思ったら買う。つまり、その値段が付けられている理由に納得がいけば買うし、納得がいかなければ買えない。値段の理由が知りたくて、私にしてはしつこく値段について尋ねた。
エディさんの説明は、こうだ。「最高級素材の『クレタ・クンチャナ』を使っている。値段が通常の生地の倍はする」。これは納得。「草木染めである」。これも納得。草木染めは、思った色を出すのが難しく、失敗することも多い。これは実に素晴らしい色に染まっている。色ムラも味のうち。一番下の抹茶色に紺が混じっているのだが、「それがいい!」というのが安藤さんと友人の意見だった。
エディさんの挙げた最後の理由は、「通常の伝統文様であれば他の店でも買えるが、これは他では売っていない品。アイデア代」。これもまぁ納得は納得だが、「カトゥラ」や「ドゥドゥン」といった著名なバティック作家でない場合、高くなる理由としてはちょっと弱い。バティックはどの作品もただ一点のオリジナルだから。
いろいろ説明を聞いてもなお、店で売られている他の草木染めバティックや、エディさんプロデュースのオリジナル作品(例えば、上の魚バティック)に比べて、値段が高すぎるように思う。あれこれ話していて、ようやく判明したのは、これはジャカルタの展示会に出し、付けられているのは「展示会値段」ということ。展示会であれば、高い場所代、交通費・宿泊費などのコストがかかるため、値付けは当然、高くなる。展示会値段であれば納得だ。「じゃあ、ここの店での値段は?」と聞くと、値段を下げてくれ、納得できる値段になったので購入を決めた。
これは私にとって「ザ・インドラマユ」という一枚。インドラマユの海、魚、船、空、草花、鳥……インドラマユの自然と人々の暮らしが詰まった一枚。草花や鳥で彩られた空のなんと美しいことか。海中の魚たちも、海を進む小さな漁船も、全てが愛おしい。
「インドラマユの船」
バティック・ビンタン・アルット作
107cm x 240cm
2024年制作
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