このインドネシア地図のバティックの線描きをしたのは、インドラマユのバティック職人、アアットさん。布の端には「©Studiopace & Aat」と書かれ、賀集さんの工房「スタジオ・パチェ」とアアットさんの共作であることを示している。
賀集さんとアアットさんが作ったのは、全部で6枚だ。1枚はアアットさんの息子のイルハンさんに、もう1枚はジャカルタの友人の結婚祝いとして、賀集さんがプレゼントした。残りの4枚がショッピーで2021年6月2日と8日に販売され、即、完売。80万ルピアという信じられない安さで、賀集さんの取り分はほとんどなかったのではないかと思われる。
私は購入しなかった。人気で、倍率が高いのはわかっていたので、「今回はほかの方に譲りましょう。私は、後で賀集さんにお願いして買わせてもらいましょう」と大きく構えていたのだ。賀集さんが6月29日にいなくなるとは夢にも思っていなかった。
実は賀集さんは、原画をアアットさんに預けている。インドネシア地図を買えなかった私は、その原画を使って「インドネシア地図を作って」と、「レプロ」と呼ばれる複製をアアットさんにお願いしたのだが、なぜか、一向に出来上がって来ない。その理由は昨年10月にインドラマユを訪れた時に明らかになった。
賀集さんの原画を見せてもらったところ、「うわっ、これは大変……」というのが一目瞭然だった。これは、普通のバティックではない。「バティックで地図を作る」という挑戦の大きさ、賀集さんの苦心惨憺ぶりが見て取れる。
島の名前などの大きい文字は高さが揃うように、上下に鉛筆線が引かれて、その間にきっちり書かれている。「地図」だから当然なのだが、とにかく文字が多い。スペリングを間違えそうだ。賀集さんも所々間違えていて、上から書き直している。なんと、一番上のタイトルの「Indonesian」を「Indnnesian」と間違え、最初の「n」は「ganti dg O」(Oに変更)と赤を入れていた。
アアットさんが言うには「トレースが一番大変」。トレースする布を原画の布に縫い付けて、ずれないようにしてから、トレースする。鳥などの伝統模様だと、模様が多少広がってしまっても大丈夫なのだが、地図はダメ。下手すると、一枚の布にきっちり収まらなくなってしまう。そして「地図」なのだから当然だが、陸地の線は正確に。勝手に変えたり、小さい島を省略したりなど、もちろん不可だ。
アアットさんは非常に腕のいい職人さんで、伝統文様をフリーハンドでスイスイ描く。こういう、「決められた線を正確になぞる」のは、いつもとは勝手の違う、やりづらい作業に違いない。
「バティック自体は簡単。1日でできる」と話していたが、このトレースに非常に時間がかかってしまって大変なため、どうもやる気が起きないようだった。
バティックを広げて話していた時、スマトラ島ランプンから嫁いで来た義理の娘アウリアさんが一緒にいた。アウリアさんは、珍しいインドネシア地図のバティックを興味深げに眺めていて、「私の出身地はここ」とスマトラ島を指差して教えてくれた。続いて、「私たちが今いる所はここ」と、ジャワ島の、何も地名の書かれていない場所を指差す。「いや、ここだよ」と、「Cirebon」「Indramayu」と書かれた場所を指差しながら、「あれっ?」と思った。ジャカルタに近すぎる。
グーグルマップスで確認しても、明らかに位置が違う。「えっ、このバティックだけ、間違えたの?」。「ちょっと待って、原画を確認しよう」と、アアットさんが原画を広げる。なんと、原画も間違っている。チレボンの場所が間違ってる!! 賀集さん、チレボンの場所、間違ってますよ!!!
アアットさんが原画に、正しい位置を書き込む。「元の字を変えるのもあれなんで、引っ張る棒線を、こう、シュー、シューッと、変えたらどうかな?」と話し合いながら、皆でげらげら大笑いした。つまり、制作された6枚のバティックは全て「チレボン」「インドラマユ」の場所が間違っているので、もしお持ちの方がいたら、確認してみてください。
賀集さんに言いたいことはいろいろたまっていっているのだが、これはその筆頭かもしれない。賀集さんは、いつもの口調で「えーーーー」「ア、ハハハハ……」「すみません、ボケボケなんでー」と言うだろうか。
アアットさんからは先日、連絡が来た。「今の布の蝋伏せが終わったら、次はインドネシア地図をやります」(Ni aat lagi tembok kain lain ny klo dah selesai aat mbatik peta indonesia)と書かれていた。
「インドネシア地図」(Peta Indonesia)
賀集由美子(スタジオ・パチェ)、アアット作
101.5cm x 241cm
2021年6月販売
80万ルピア